怒りのパワーの使い方
怒りが湧く。
これはどーしようもない。
頭より身体が反応するから。
闘争本能。
私を守るためにどこまでも戦う。
だが、その闘争を仕掛ける先は
怒りを感じさせたモノではない。
そのモノはたいてい自分自身だからだ。
だから怒りをぶつけてもスッキリしないのだ。
逆に嫌な気持ちになって終わりだ。
自分で自分に攻撃しても何も生まない。
では、どうすれば良いのか?
身体をがむしゃらに動かす。
ひとまず、身体を使う。
身体が動き
何らかの作用が生じ
何かが変わったことが実感できればよい。
それだけでよい。
紛れもなく
私は生きている。
どんなに頑張っても、、、
私は私にしかなれないみたい。
いいところも
わるいところも
やさしいところも
いじわるなところも
どれこれも
余すところなく
全部ひっくるめて
私ってことらしい。
変わらない。
変えられない。
観念せい!
私と私
私には力がある。
でも、それほど力がないこともわかっている。
だからこそ、力があると思いたい。
力がない私と
力がある私。
両方とも私。
その2人が私の中で語り合えばよい。
明日は希望
ご自身への期待は
ご自身の明日を生きる希望となります。
だから
ご自身へ期待していることが
期待通りでないにしても
どうか諦めないで欲しい。
期待はずれがこの先ずっと続く訳じゃない。
明日は違っているかもしれない。
未来は希望のためにある。
未来は希望そのもの。
ワガママ
たいてい、、、
いや、もう、言ってしまおう。
人はみんな、ワガママだ。
澱の残ったコミュニケーション
悩み事なんかを
ぽろっとこぼしてしまったが最後
病んでる人認定
どことなく嬉々として
それっぽい
どこかで聞きかじったような
セリフを
次から次へとまくしたてる。
納得するまで。
気づくまで。
もし、それを受け入れられない空気が
ほんのりと漂ったのを感じた時
もう何も言うまいと誓う。
どっちがどうだということでもなく。
これが今起こったコミュニケーションだったというだけのこと。
さあ、では、この澱のようにうっすらとたまった感じをどうするか?
と、言うことでAIに相談でもいいけど、とりあえずすくって、出した。
アウトプット。