価値なし生活をスタート
私は価値なし。
世界にそもそも優劣などない。
私の価値とポケットから出てくるクシャクシャのレシートの価値は等しい。
価値を決めているのは私だ。
私の思考だ。
私は私にとって価値のあることをしていたいし、伝えたいと思っているし。
それが私の自己表現だと。
だから、その私の信じる価値観にそぐわない人々、物事に対して厳しくなる。
腹が立つ。
実にくだらん。
実にけしからん。と。
その怒りがキツくてキツくて。
身体に痛みが出て。
で、耐えられなくなったので。
やめてみた。
自分の価値を上げていると思っている、役割を下りてみた。
突然のヨガ教室、スパッと無期限お休み宣言。
ヨガの先生という役割を下りて、肩書きもなくして、それに付随する価値もなくしました。
休みますって宣言するのにはめちゃ、エネルギー必要でしたけど。
へんな汗かきましたけど。
いざ、エイ!ってやっちゃったら、めちゃ、楽になりました。
そしたら、気づきました。
私はヨガに来てくれる人、ひとりひとりのお母さんみたいに意識を向けていたなと。
行きたいと言ってくれたけど、結局1度も来られなかった方にまで、何かしらのエネルギーを注いでいたなと気づきました。
身体動かした方が絶対いいから!動かしなさい!
みたいな。そんな小うるさいお母さんみたいな意識持ってた。
そんなん、子どもからしたら鬱陶しいだけだから、もちろん、言うこときかんじゃん?
そしたら、誰も言うこときかん!
ムキー!!!
ってなってた。
教育熱心な、過干渉ママさながらです。
私が良いと信じた価値を子どもに押し付けてました。
当然、それは私自身にも押し付けている価値観。
自分を自分の価値でかんじからめして、結果、自分が1番苦しんでしまうという。。。
本当に辛かったので。
もうやめたい。
人に厳しくするのも。
自分に厳しくするのも。
そんで、
優しくなりたい。
楽になりたい。
だから、自分を縛る価値を削ぎ落とす。
「生産性のない日常」
「生産性のない時間」
しばらく、続けていきます。
生産性のない私の今の相棒。
眺める時間がいい。