「負けたくない」はすでに負けている

 

人に「負けたくない」

 

と思っていることがずっとモヤモヤで

 

それをテーマに

 

チベットに伝わるという「トンレン」と呼ばれる慈悲の瞑想をやってみてたら

 

あろうことか、足を引っ張ろうとしていることに

それどころか、すでに負けたと思っていることに気がついた。

 

 

「負けたくない」は

負けを認めたくなかったからの

悪あがきに過ぎなかったのだ。

 

 

改めて

負けた悲しさ

悔しさを

 

 

 

世界に捧げた。

 

 

 

 

私という自我の孤独や

無力感を

 

 

 

 

慈悲の心に祈った。

 

 

 

 

そしたら、少しモヤモヤが薄れました。

 

 

ちょっとルン♪とも感じました。

 

 

 

何もしない。

サレンダーでいるとはこういうことだと

思うんです。

 

 

 

 

苦しみを消そうとしないで

曝け出して祈ることかと。