見ず知らずのおじいちゃんが痛い痛いと訴えてきた。

最近恒例のお散歩。

すれ違いざまのおじいちゃん。

「痛い、痛い」

と、手首をさすりさすりしながら

私に向かって訴えてきた。

「早く帰って温められたら?」

適当に返す。

リュウマチだん」

「そうなんですねー」

て歩みは止めず、流し続け、サヨナラ。

 

歩く。

 

まず、どうしてこんなことが起こるのだろうと落ち込む。

ほんのちょっと。

 

なぜって。

 

私にはつけいる隙があるのか?

それほど、弱っているのか?

 

と。

 

次にじいちゃんの心理を分析する。

 

寂しいのだろう。

甘えたいのだろう。

誰かに慰めて欲しいのだろう。

優しさに飢えているのだろう。

 

そしたら、やっぱり怒りが湧いてくる。

 

誰彼かまわず甘えてくんな!

いい年をした餓鬼め!

痛みや寂しさは黙って独りで味わっとけ!

 

・・・・・って、ホラ。また。

 

人の弱さを許していない。

人の弱さを拒絶してる。

 

その弱さは私の中にあるものなのに。

 

だから、じいちゃんとして表出しているのに。

 

人間だもの。(みつをさん、すげーっす)

 

優しくしてもらいたい。

よしよししてもらいたい。

大丈夫だよって言ってもらいたい。

慰めてもらいたい。

弱音や愚痴を黙って聴いてもらいたい。

駄目な私をまるっと受け入れてもらいたい。

 

 

もらいたい、もらいたい、もらいたい・・・・・

 

お前も餓鬼じゃん!!

 

って、出てくる出てくる、私の弱さ。

 

駄目な私を、まるっと受け入れてもらいたい人は、本当は、誰?

 

 

・・・・・・それは、私。誰よりも私自身に受け入れてもらいたい。

 

私が私の弱さを受け入れられないから、怒ったり、泣いたりしなきゃいけなくて苦しいの。。。。

 

 

そんなこと悶々と考えながら歩いていても、

ぬけるような青空と

スタジアムの無機質なコンクリートの白と曲線とのコントラストに

ふっと、いつも、心奪われる。

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散歩の終盤。

今度は大股でウエスト捻りながら颯爽と歩く女性ともすれ違う。

 

それそれ!

 

私も美しいウエストのくびれと消費カロリーの為には、そんな歩き方じゃないといけないんじゃないかと思ってたー!

 

「歩く」ということに価値や意味をくっつけようとするいつもの癖。

 

リュウマチじいちゃんも大股女も私と一緒だね。

 

私だわ。

 

価値や意味や目的はいろいろに表現され

さも、一大事なように見せることはできるけど。

 

みんなみんな、怖いの。

怖いの一緒だね。

 

怖いから、望むものも一緒だね。

 

根っこが一緒。

 

みんなひとつ

 

ってそゆこと!?