原動力はひとつだけ。
私はたまたま、これまで
「私」役を演じてきた。
自分という役柄になりきって、
幻のスクリーンの中で生きてきただけだ。
そもそも、この世界が幻のスクリーンなんだからね。
みんな自分という役を演じている出演者ということになる。
で、この世界がリアルでないと知っても
ただ、幻のスクリーンだとしても
その私という役から降りるのが怖かったりする。
私ひとりだけ降りる?
私がなくなる?
今まで積み上げてきた私が?
私がなくなるというより
本当は
本来の
大いなる一つの意識に目覚めるだけなのだし
今まで積み上げてきたというような
過去、現在、未来という時間の概念すら消え失せるんだけど
それが、
非常に怖い。
死ぬほどに怖い。
死んだ方がマシくらいに怖い。
だから
あのー、この私という役を持ったまま、完璧な幸せな愛の世界にシフトアップするわけにはいかないでしょうか?
って、思っちゃう。
はい、それはアウト。無理です。
幸せにならなくていい。
そこそこでいいという意思表示にしかなりません。
つくづく、残念。
それくらい、未練があるのよ。
自分に。
この世界に。
執着がある。
ずいぶん長いこと、私は私をやってきた。
執着もあれば、愛着だってある。
その役を降りて、本当に自由で幸せで安心して喜んで愛そのものとして実在するということに慣れる必要がある。
それを少しずつ溶かしていく必要がある。
目覚めるために。
少しずつ。
その原動力はたった一つ。いたってシンプル。
いつだって真理はシンプル。
目覚めたいという意欲だけ。
愛したいという意欲だけ。