赦しの夢を見ることができる
「神への道はこの世では赦しを経由する。」
赦しとは
私たちが勝手に意味や価値をつけたために
罪となってしまったモノゴトから
もう一度意味や価値を取っ払って
「無」に返すこと。
私たちが勝手に意味や価値をつけたために
心が罪を大切にしている。
心が罪を大切に大切に守っているので
私たちは
「いまだに確信がもてない」
「自分が誰なのか、よくわからない」
ということになってしまった。
ここは私たちが勝手に意味や価値をつけた世界。
真実とはかけ離れた世界を生きている。
つまりここは
夢や幻の中。
どうせ夢や幻の中なのだから
赦したって夢を
無に返したって幻を
見ることはできるのだ。
できるのだ!
“これ、お願いだからやってもらっていいかな?”
と
“おい!これ、やっとけよ”
に、実はなんの違いもない。
赦し、無に返した夢を見て
ただ
やればいいのだ。
ただ
やらなくてもいいのだ。
どっちでもいいのだ。
心の中で無に返したら
それでいいのだ。
罪の夢ではなく
赦しの夢を見るのだ。
A Course In Miracles
Lesson 256