愛の存在であるとこじつけてみた。

河合隼雄さんの言葉

 

「1人でいる時はみんなといるように。

みんなといる時は1人でいるように」

 

般若心経では全て「空」と説く。

 

よって、私も。

 

私は波動だ。

 

実体などない。

 

変わりゆく波動だ。すなわち自由なのか。

 

苦しい波動だ。

 

少なくとも今この瞬間は苦しみを帯びた波動だ。

 

価値あるもの。

価値のないもの。

意味あるもの。

意味のないもの。

 

その境界線も当然ない。

 

いつだってグレーゾーン。

 

あやふやで不確か。

 

 

ブレまくりの波動だ。

 

 

優しさと厳しさを兼ね備えた波動。

 

 

自然も。

 

地球は、宇宙は優しさと厳しさを兼ね備えている。

 

 

それも、愛だ。

 

愛のひとつの性質としての表出だ。

 

 

ってことは、私も愛なのか?

 

 

私も愛そのものの波動なのか?

 

 

時に人の為にエネルギーを注ぎ、

時に人の為にエネルギー攻撃する。

 

 

それが、愛の二面性ならば

 

私がおりなす波動は全て愛じゃん。

 

 

だから、私はそのままゆらいでいたらいい。

 

そのゆらぎこそ愛なのだから。

 

どっちにしろ

何を選んだって

愛なのだから。