母の日の夜の夢
3年前に亡くなった母の夢を
母の日の夜に見ました。
久しぶりに会った母は
相変わらずかわいそうな人だった。
いい感じに酔っ払って帰ってきた母は
もうこの世の人ではないと誰もが分かっていたせいか、私の友人たちに暖かく迎えられ、
私と冗談言いあったりして
人生終えて、やっと幸せになっていた感じだったのに
家に入った途端
すっと真顔になり、取り込んであった小さな洗濯物のハンカチを正座して
バカ丁寧に畳み始めた。
それを見た父は
やっぱり母はもう死んでいるとわかっていて
「こやつはこんな事ばっかりする、、、!」
と生前優しくできなかった後悔のためか、ボロボロ泣きながらハンカチをひったくった。
畳んでいたハンカチを取られた母は正座のまま、両手を畳の上につき、そのまま土下座をした。
父に向かってなのか、誰に向かってなのかわからない。
表情は見えない。
頭を低く低く、畳に擦り付けるように、土下座していた。
目が覚めたら、私は泣いていた。
母が哀れで泣いていた。
足元に、恨めしそうに立っている様な母を感じて、怖くて、哀れで涙がしばらく止まらなかった。
母に未だに取り憑かれている。
母を可哀想な人だと思い、そのままの記憶を抱えたまま後生大事に握りしめていたのは私だ。
母の人生を勝手に不幸なものと作り上げ、救えなかったと私を責め、母も私を恨めしいと思っていると、さらに責め、
母より幸せになってはいけないと
自分自身に呪いをかけていたと気がついた。
今、また改めて思いなおしたい。
母の不幸な人生などなかった。
私は自分の人生をよりセンセーショナルに、刺激的にする為に母の人生をでっちあげたのだ。
過去の記憶というものはクセ者だ。
如何様にも改ざんできる。いや、もっと言えば創作できる。
元々無いものなのだから。
過去はない。
あるのは現在だけ。
私の意識が作り出した母というトリックを暴くことができてよかったと思う。
その為に見た夢だったのだろう。
肉体は見えなくても母のマインドとはいつも共にある。