自分を責めるのをやめられない時は。。。
幼少期からの
父の厳しい言葉のせいじゃない。
母がテンパってる姿を見てきたせいじゃない。
ダイレクトに両親の生き方に影響されているからだけではなく
その向こう側にある、潜在的な、集合的無意識的な罪の意識や恥の意識のせいだ。
先祖代々、日本という国、そして世界、地球、宇宙という広がりをみせる次元のもつ意識。
恐れと畏れ。
どうしたって逃れられないんじゃ⁇
この世界のベースとしてある恐怖が父母という形をして、よりリアリティをもった現実として私の前に表出している。
そして、当然、私も恐怖の権化として現れている。
死の恐怖、罰される恐怖としての波動であり、わかりやすいように肉体で表現している。
陰陽、正誤、善悪、生死など、ポジティブとネガティブとして二元的な世界として固く信じられている限り、その表出は止まることを知らない。
恐れは本当にネガティブか?
生は本当にポジティブか?
死は本当にネガティブか?
そもそも宇宙の理の中では、そんな概念すら成り立たない。
全て等しく、素粒子であり、波動であり、変化し続けるものだからだ。
ただ「それ」であることが愛と言われるものなのか?
ただ「それ」としてあることが悦びなのか?
ひとまず、
私が自分を責めるのをやめられないことも、本当はネガティブなことではなく、ただ波動として変化し続ける「それ」であるということに、今のところしてみよう。